トップページに戻る
とびらに戻る
第二章へ
01 シリーズ第一回目は、「Fuuyaan展'09」のインタビュー&ルポ!
自然って、サービス精神旺盛。

Q.西表島の話をもう少しお聞かせください。

A.西表に行ってわかったことは、自然は一見気がつかなくても、こちらが見ようとすればするほど、どんどん表情を豊かに変化させて見せてくれるということ。たとえば、遠くから山を眺めているだけでは、こんもりとした緑色にしか見えないけれど、近づいてみると、それぞれの葉っぱの緑色さえ、どれも少しずつ違っていて、全部で調和しているのがわかります。そして、もっともっと目をこらせば、美しい葉脈の模様があって。その葉っぱの裏にきれいな虫が潜んでいたり……さらにその虫に目を見張れば、甲らがとってもきれいな虹色の不思議な模様をしていることに感動したり!こちらがちゃんと目を開いてさえいれば、自然の中にあるものはどんな植物でも動物でも、たとえ小さな虫であっても、びっくりするような表情を見せてくれます。そういうときの自然ってサービス精神旺盛。「ほら!見てみて!!」っていうふうに。気がつかなかったのは、こちらがちゃんと見ていないだけだったんですね。

 

Q. 一般的に「西表島」と聞いて想像するのは、わかりやすい「イリオモテヤマネコ」だったり、「マングローブ」だったりします。でも、それは西表島の自然の中にあってはほんの一部分なわけで……私たちがちゃんと見つめていれば、すべてのものたちがいくつもの表情を見せてくれて、もっともっと楽しむことができるんですね。

 

A. その表情も、ただ美しいというだけではないんです。たとえば海の中の映像だったら、リーフェンシュタールやクストー(※注4)などいろいろありますけど、それは色彩や造形美に溢れた「作品」として、ただ、ただ本当にウツクシイ。もちろん、「しょせん偽物だよ」ということではなくって、そこにもひとつの美の世界があるんです。さらに、実際に見るものからは、そういった美しさ以上に「います!」っていう存在感がビンビン伝わってきます。だから、こちらも「あ、ごめんなさい」って、お邪魔しているんだなっていう気持ちが自然とわいてくるんです。

 

※注4 映像作家であるレニ・リーフェンシュタールとジャック・クストー。両者とも、サンゴ礁をテーマにした作品を残している。fuuyaan.が初めて西表島に訪れたのは、彼らの作品に感動し、実際にそのような海に潜って見てみたいと思ってのことであったそうだ。

 

Q. そこに命の存在感があるから、「お邪魔します」と謙虚になれるんですね。

 

A. そうそう、西表の夜もウツクシイ!夜空を見上げると、晴れていたら嘘みたいな満点の星空で、天の川までちゃんと見えるんです。こっち(京都)に帰ってきたら街の灯りが明る過ぎて、「ああ~。ほんとはあんなにきれいな星空があるのに。なんてもったいない」って残念に思ったりもしました。

「ここからは入ってこないでください」って、ちゃんといわないと。

Q. 西表島での暮らしをいま振り返ってみられて、fuuyaan.さんの心身に何か変化はありましたか?

 

A. 体力がついたというのが一番大きいかな。たぶん海で毎日泳いでいたからですね。それとつながっているかもしれませんが、精神的にも強くなったと思います。海に潜って美しいものをたくさん見ていたせいか(身体全体を筒のように見たてるジェスチャーをしながら)、地球とのつながりのパイプが太くなりました。それは……大きいものとつながっている確信のようなものです。 いままではなんとなくわかっている程度だったけれど、西表に行ってからは、はっきりとつながっているんだ!ということがわかったから、精神的にも強くなったんだと思います。たとえば、ゴキブリを退治できるようになったこととか……いままでは「生きとし生けるものは大事にしましょう」と強く思っていたので、ゴキブリが出てきても、カに刺されても我慢していたんです。でも、西表ではそんなこといっていられないくらいにゴキブリさんたちがお見えになるので(笑)。大げさないい方ですけど、生きることってそんなものじゃないのかなって思ったり。

 

Q. 「そんなものじゃない」といいますと?

 

A. 「ここからは入って来ないでください」という意思表示をすることの大切さみたいなものですね。たとえば人間関係で何か嫌な思いをしたときにも、「どこか自分に原因があるんじゃないか」とか、以前は自分を追い込んでしまう癖があったんですね。でも、巨大な台風だとか、西表の圧倒的な自然の前に立たされたときなんかに、「自分が悪いのかな」とか悠長にいってられないですよね? それは相手が台風でも、ゴキブリでも、人間でも同じことだと思うんです。自分の身は自分で守らないと、誰も守ってくれない。だからこそ、「ここからは入って来ないでください」って、ちゃんといわないと。

 

Q. 本当にそうですね。生きようと思えば、他の命とぶつかってしまうことがあっても当然なんだな、という気持ちになりました。同時に、fuuyaan.さんの"たくましさ"のようなものを感じます。

描いているとき、本当に気持ちいい。

ところでfuuyaan.さんは、絵を描くとき、どのような感覚でキャンバスに向かっておられるのですか?

 

A. 観察しています。絵を描いている、というよりも「観察」という感じです。絵の具のついた筆先とキャンバスの質感。色がどう混ざり合ってキャンバスにのるか、その変化をつねに観察しながら感じています。でも、極視しているばかりではいけないので、ちょっと引いて全体を見たり。とにかくいつも以上に目を使いますね……そうそう!制作後、すっきりして台所のほうに歩いて行くと、何気ない床のしみや汚れがやけに新鮮でとっても美しく感じられて。知らない人が見たら「ん?」って思ってしまうかもしれないような写真をパシャパシャと撮りまくっていたこともありました。それだけ観察力が高まっているのだと思うんですけれど、あれは自分でもあとからハッとして、おかしかった(笑)。

 

Q. 目がよくなり過ぎて(笑)。やはり感覚が研ぎ澄まされて、日常とは少し違った状態で描かれているのでしょうか。そういう状態で絵に集中していると、かなりエネルギーを消耗するような気がしますが……。

 

A. そうですね、昔はどっと疲れていました。自分の中にある、あらゆる感情をすべて絵に流し出そうとしていたからでしょうね。そういうときはひどく疲れます。でも、いまは気持ちのいい幸せなエネルギーを絵に落とし込むように描いているので、疲れを感じることはなくなりました。

 

Q. その「幸せなエネルギー」とは、どんなものですか?

 

A. 美しいものを見たり、楽しかったりすると、感動して心がいっぱいになりますよね?その「幸せだー!」っていうエネルギー。もちろん西表の海や空も、そのエネルギーの源のひとつです。海から上がって描いているとき、本当に気持ちいいんです。身体を動かしていることも気持ちいいし、色を置いていくたびに「うわ~! うわ~!」って、筆が進んで行きます。たまに幸せで胸がいっぱいになり過ぎて呼吸するのを忘れそうになるので、外に顔を出して深呼吸するんです(笑)。

……いま、つながりました(笑)。

Q.お話を伺いながら作品を改めて拝見しているのですが、こうしてfuuyaan.さんの作品に囲まれていると、不思議なくらい、ゆったりと穏やかで心地よい気分になってきます。それはもしかしたら、fuuyaan.さんが自然の中から吸収し絵に重ねていった「気持ちのいい」エネルギーを、私たちの身体や心が感じて共鳴するからなのかもしれませんね。

 

最後に、fuuyaan.さんのこれからの展望を聞かせていただけますか。

 

A.展望?……難しいですねー。いつも流れに感じるままに身を任せていくだけです。

 

Q. では、いま一番やりたいことはありますか?

 

A. あ!それならありますよ!壁画!それから、ふすま絵です。
昨年も、あるご縁で茨城県の飲食店の壁に大きな絵を描かせてもらったことがあって。それがとても楽しい経験だったので、そういうお仕事がどんどん来ないかなーなんて思っています。そうそう、つい先日もある方からお部屋の壁に何か描いてもらえないですか?と声をかけていただいて、それもとても楽しみにしています。そういう大きな絵もこれからはどんどん描いていきたいですね。

 

Q.大きい作品を描くのはどんな感じですか?

 

A. 大きい絵を描くほうが楽しいですよ。完成したあと、自分のでっかい作品を見ることがまずはうれしいでしょう。それから作業量も結構多くて肉体的な疲れも出るので、「描いたぞー!!」っていう達成感があって充実しています。
キャンバスそのものが「壁」だから、つねに飾られているのと同じですね。いつも誰かに見てもらうことができて絵も幸せです。

 

Q.描くこと以外で、ほかに何かチャレンジしてみたいことは?

 

A. 畑で野菜づくりをしてみたいです。京都でも、プランターでトマトを栽培してみたり、西表でもネギのようにどこか隅っこのほうに簡単に植えられるようなものはやっていたんですけどね。これからはもう少し本格的に始めてみたいと思います。

 

Q.「畑」というのはとてもfuuyaan.さんらしい気がします。
先ほどの「大きいものとつながっている確信」という言葉が頭に浮かんできました。生活の場面で、もっともっとその大きな何かとつながりを持つことができそうですね。

 

A. あ!そういうことだったのか……。なるほど、そういわれて私もいま、つながりました(笑)。

 


「京都の古民家で個展をひらいた、西表島在住の女性アーティスト」。取材前にこちらで勝手に頭の中でもくもくと膨らませ用意していた、いまとなってはとんでもないイメージは会場に足を踏み入れ、本物のfuuyaan.に出会った瞬間、一気に崩れ失せた。素朴でやわらかな人物。にこにこしながら、しかし、しっかりと自分の言葉を選びながら返すその一言一言の隙間に、私は幾度となく、彼女のいう「大きなもの」を見た気がする。京都の古民家であろうが、西表島であろうが、どこにいようともfuuyaan.はfuuyaan.で、場所において語ることはあまり意味がないのかもしれない。彼女がしていることは変わらない。自然や美の中に息づく「大きなもの」との"交信"ではないだろうかと、私は思った。美しいものを見て幸せだと感じるエネルギー。彼女の作品は、そんな「大きなもの」から抽出したエネルギーのかたまりだから、人をやさしい気持ちにさせ、包み込むように安心させてくれるのだろうか。聞き手であるはずの自分が、気さくなfuuyaan.に話を聞いていただいている場面も少なくはなかったのではないだろうか……そんな気がして、恥ずかしい。がちがちに何でも物事を頭で片づけようとする私だから、自由でのびやかな彼女のことを言葉の枠にせまく閉じ込めてしまったのではないか……そのせいで読者のみなさんにうまく届かなかったのではないかと、これもまた心配である。こんな聞き手に対して、fuuyaan.本人は、力みなどなく、これからも心と身体が欲するものに、ただただシンプルに応えていくのだろう。
今年もまた西表島に渡り、より強く太い「パイプ」となって、小さな画板にはおさまりきらないほどのエネルギーを、壁画やふすま絵といった大きなキャンバスに表現してほしい。そしていつかまた京都で、そんな彼女の新作に触れる機会を本当に楽しみにしている。


最後になりましたが、多忙の中、このインタビューのために貴重な時間を割いてくださったfuuyaan.さんに感謝致します。そして、催期終了後のお宅を快く提供してくださった山崎ひできさん、なかなか稿の上がらない私をあたたかく見守り、数々の助言をくださった阪上寿満子さんにも同様の感謝を捧げます。本当にありがとうございました。

 

岩城良平

ページトップへ
トップページに戻る